yashiganiの英傑になるまで死ねない日記

週末はマスターバイクでハイラルを走り回ります

人の挨拶を嗤うな

挨拶がないことや挨拶もできないのかと怒る人がたまにいる。けど、そういう人に限って自分から挨拶しないという経験則があって、挨拶する側じゃなくて挨拶される側の理論だなと耳にするたびにおもう。唯一例外は学校の先生で、彼らは挨拶しろと怒鳴りつけて、実際に挨拶してる。これは信条の話だが、コミュニケーション不全の原因を相手に押しつけるべきではない。挨拶されないのはされない側にされないなりの理由があるわけで、怒るくらい気に入らないなら人を変える前に自分を変えるべき。平たく言うと、挨拶しない側にとって存在感が無い。挨拶されるために自分を変えるのはいかにもコスパが悪いと感じるかもしれないが、気になるあの子に声かけられるために自分を変える、と言いかえるとなんか尊い感じがする。そういう感じ。

挨拶されないことに怒るより、自分から挨拶したほうが生まれる不幸は少ない。とやかく怒らずに普通に挨拶をすればよい。それを踏まえて私がどう振る舞いたいかというと、自分から挨拶したがらない人間に対して大声で挨拶する、そういう人間でありたい。